教育問題はなぜまちがって語られるのか?
教育問題はなぜまちがって語られるのか?―「わかったつもり」からの脱却 (どう考える?ニッポンの教育問題)
- 作者: 広田照幸,伊藤茂樹
- 出版社/メーカー: 日本図書センター
- 発売日: 2010/09/16
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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どっかのBOOKOFF
360円
読了(2017/01/03)
この本の内容を要約すると、
(1)教育問題は「いじめ」や「体罰」、「不登校」etc...といった出来事=「現実」があるだけで成立するのではなく、これらの個別に存在する様々な出来事が一般化・抽象化(≒ラベリング?)されたうえで専門家やマスコミなどによって問題が提起されてはじめて教育問題となる。
(2)教育問題には、①事実認識(一体何が問題なのか)、②診断(問題の原因・影響は何か)、③対策(問題に対してどのような解決策があるか)といった三つのレベルがある。
(3)①事実認識のレベルは、世間でマスコミなどを通じて拡がる、事実に関する情報が偏っていたり、ウソだったりするため、むずかしい。②診断のレベルも、一つの出来事の原因は一つでないため、むずかしい。③対策のレベルも、教育の効果は測定しにくいものであり、問題を解決しようとすることによってまた新たな問題が生起してくることもあるため、むずかしい。
[結論]リテラシーをもっていろいろな角度から物事を考えましょう。
…と、この本ではどこかで聞き覚えのあるようなことが延々と語られているわけですが、それだけハチャメチャなことが多いってことなんですかね。うーん。
この本で論じられているような教育問題の難しさみたいなものって、べつに教育問題に限った話ではなくて、多くの社会問題に共通していることなんじゃないかと思うんですけどね。「教育問題だけが厄介な語られ方をしている」みたいな立場は微妙な気がします。
教育問題に限ったことでいうと、何らかの形で教育を受けたことがない人は(ほとんど)いないために、自らの教育経験からああだこうだと言ってしまう、教育評論家になりうるということが厄介なところですかね。(何かの本の受け売りだけど、どの本に書いてあったか失念してしまった……)
かくいう私も教育に一家言ある人間なので、他人事ではないですねぇ……
球団消滅
読了(2018/11/10)
読んだのは文庫版なのだけど、文庫版が出たのが2004年の10月と、球界再編問題の真っ盛りのころで、「2004年のまえがき」は当時の空気感が表されていて興味深い。
さて、この本の主題なのですが、田村駒治郎という野球好きの青年実業家の伝記に近い内容となっています。伝記って面白いっちゃあ面白いんだけど、記述がつまんない……みたいなことが多い(ような)気がするのですが、本書では田村駒治郎の人生をナビゲーションするかのように記述されているので、読み物として面白く、すらすら読めるのではないかと思います。
野球好きにとっては長いようで短いシーズンオフ、野球関連の本を一冊読んでみるというのもなかなか乙なものではないでしょうか。